やっぱり、デザインが気に入らず、機能におぼれた感があるのでシンプルに作り直しました。
というか、subtraction.comがかっこよすぎて、真似でもいいから同じモノつくりたいと思った。
NYtimesのデザイナーらしい。残る課題は
- WP-hatenaかaddthisを入れる。
- サーチバーをどうにかして入れる。
- エントリで使われそうなタグのCSSをきっちり規定する。
「狼よ、さらば」、すげえかっこよかったんだが、音楽はハービーハンコックだったのね!

先月、角野たくぞうじゃなくて、ハリセンボンでもなくて、マイケル・ムーア氏の「シッコ」を観た。
氏なんかつけてもつけなくても、つけてもどうでもいいんだけど、アメリカに行く気をなくさせてくれたという点では「氏」に値する。
日本の国民(半)皆保険というのも、制度の内側にいる分には悪くない制度だとつくづく思う。
氏の映画中で、カナダ人が数キロ先のアメリカに行くため(日帰りどころか、2、3時間の滞在ですよ)、ただ、そのためだけにカナダの旅行保険に入るというシーンが一番愉快であったというか、保険制度の違いを痛烈にむき出しているシーンであった。
ともかく、この映画を見ると、旅行でさえも、米国には足を踏み入れたくはないと思ってしまう。
で、「シッコ」によると、カナダで最も尊敬されている人物は国民皆保険制度を築いた元首相、トミー・ダグラスという人だそうだ。
へー、そうなんですかー。
という感じで1か月くらいたった。
ほんで、たまたま『鉢の眼』という映画を観た。二次大戦で、ドイツのスパイとイギリスの人妻が恋に落ちるという話。1980年制作。
ドイツのスパイ役の俳優がいい演技してまして、ブロンドでブロンド胸毛の俳優だったんですが、名前がドナルド・サザーランド。
すぐさま、CTUに連絡して、クロエにNSAの衛星に侵入するように命じてドナルド・サザーランドとキーファー・サザーランドの関係を調べてもらった。
親子である。
なーるほどー。そういわれると、目で演技する感じが似ているなー
さらに、クロエによると、ドナルドはカナダ人で、キーファーはドナルドとシェーン・ダグラスという女優の間に生まれたコドモということである。
そんで、キーファーの母親、シェーン・ダグラスという女性は、かのカナダ的英雄であるトミー・ダグラス元首相の孫なのだそうだ。
ほほー、「シッコ」と24がつながった。Wikipediaに感謝である。
キーファーは国籍上はカナダ人らしい。
そういや、「合衆国崩壊の日」というドラマもカナダ制作であった。カナダは隣国をつぶしたいらしい。気持ちはわかる。
薬指と小指を切断して、値段の安い薬指しかつなぎなおすことのできない国なんて、xxxxxである。
というか、「シッコ」も24も合衆国の危機をスリリングに描いているという点では一緒か。
24はday6がなかなか傑作なのではないかと思う。
とはいえ、まだ5は途中だし、1はみはじめたばかりという、あべこべな視聴スタイルである。

506法廷の一番前の傍聴席に座り、床を見つめると爪楊枝が一本落ちていた。
携帯電話の電源を切り忘れたことに気がついて電源を切った。パカンと携帯電話を折りたたむ音が法廷に響くと、書記官から「法廷内で携帯電話をいじらないでください」と言われる。うしろのオヤジはずっとボールペンのノックをガチャガチャと押し続けている。退廷寸前だ。
床を見つめて、埃を巻きつけた爪楊枝を見つめた。傍聴席には6人ばかりの人がいる。
裁判には本当かどうかわからないことが結構ある。
累犯窃盗の被告に対して、裁判長がいう。
「調書によると、あなたは英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語、ペルシア語が堪能だということだけど、本当なの?」
丸坊主で体格のよい男が、ためらいながら答える。
「はい。ペルシア語は読む・・・、だけですけど・・・」
「できるっていうのは、ちゃんと話せるってことなの?」
「はい・・・」
「どこで習ったんですか?」
「・・・、友達から」
「これは活かさないの?
「活かす術を知らないので・・・」
かくいう被告は、病身の母親がいて、刑期を努めたら鹿児島に帰り、漁師としてまっとうに生活をしていく予定らしい。
「あとがないので」と被告は言う。
母親が乳がんで、しかも再発らしく、あとがないらしい。
人のいい叔父がいて、漁師の跡継ぎを欲しているらしい。自分は叔父に気に入られている、と男は言った。
いずれも本当かどうかはわからない。診断書を出したり、叔父を証言台に引きずりだしたりするのかもしれない。
けれども、空き巣の裁判ではそこまでやらないだろう。
情状を酌量するには好材料が揃っている。いや、好材料をつくりだしたのか。
検察側も、盗品の還付に積極的な被告の態度を認めているようだった。
鹿児島に帰るのも、漁師になるのも、ただ単純に被告のプランを述べているにすぎない。
そういえば、先週見た裁判でわいせつ図画販売で逮捕された28歳の青年も、
「今後は営業職につきたいので、自動車教習所に通います。パンフレットを集めて、手続きをしようとしています」
と言っていた。 本当か? パンフレットを集めていることを声高に言われても困る。
こういう発言は爪楊枝のようにむなしい。
まるで、親戚のおじさんに久しぶりに会って、「留学しようと思ってます」とか、「会社でうまくやってます」とか適当なことを述べるのと連続しているような気がしてならない。
裁判というのはフィクションみたいである。よくできたストーリーである。
そんでもって、被告の両脇を固める警察官が居眠りをしていたりする。
そんでもって、食堂のカレーは不味かった。

裁判員制度なんですが、「朝生」で勉強いたしまして、問題点噴出です。
- 市民が参加するのは、地方裁判の一審。しかも、殺人などの重罪のみ。推進派の意見としては国民の関心をひく大きな事件ほど、市民参加が必要、つまりは「司法の民主化」が大切らしい。痴漢、選挙違反などの軽微な犯罪および行政犯罪、民事裁判については今まで通りの裁判方式。反対派は、逆だろ!という。まずは、軽微な犯罪から市民参加を始めていくべき。司法の民主化に巻き込まれる人の負担が大きすぎるだろ!という。
- やはり、事実認定、つまりは無罪か有罪かまでの判断に参加することは裁判員制度反対派・推進派とも賛成であるが、量刑まで判断させるのは荷が重すぎる。推進派の一部はドイツ・イタリア・フランスの参審制度(裁判員制度に近い)を例にあげているが、いずれの国も死刑制度はない。国会議員である福島みずほまでが、この量刑まで判断させるのは無茶だと言っている。ちなみに、福島みずほ氏は裁判員制度の法案に「賛成」の票を投じている。今さら、どういうこと?つまりは、たった二ヶ月程度の浅い議論で、裁判員法は成立してしまったそうだ。しかも全会一致で。
- 思うに、推進派の多くは法曹界の人間で、確固たるリーガルマインドを持った人間であるから、市民感覚とはずれていると思う。正直なところ、「現状の刑事裁判の手続きはひどすぎるんです」と言われても、よくわからないし、それを変革するため、つまりはえん罪を少なくするためにどうして裁判員制度が採用されなくてはいけないのかがよくわからない。えん罪を撲滅するためには、事実認定だけ、つまりは有罪か無罪かの認定だけを12人の市民が行うアメリカ式の陪審制度でよいのではないだろうか。
- 職業裁判官は憲法で身分が保障されている。いっぽうで、裁判員(市民)は重罪の審判を下しながら、身分の保障もなく、日当を一万円渡されて、守秘義務を背負わされる。傍聴席に誰がいるかわからない。裁判所に三日連続で出入りしていたら、だいたいあいつが裁判員なんだろうな、というのはわかるはずだ。ましてや、地方にいけば、もっと明白にわかるはず。裁判員の身分の保障は十分に担保されない気がする。自分が裁判員席の椅子に座って、傍聴席を見渡して、友人がいたりしたら、判定や質問にも影響されそうだ。そんな「見栄」で裁かれたら、罪人もたまったものじゃない。そんでもって、守秘義務だから、そんな苦悩も表現できない。職業裁判官の回顧録が出たり、テレビのインタビューで「死刑にしたのはまちがいでした」と懺悔する裁判官もいるのに、まったくもって不公平だ。アメリカでは陪審員に対して守秘義務はない。表現の自由に抵触するからだ。
- 推進派の一部には、裁判員裁判によって、日本にもようやく「司法の民主化」が訪れて、欧米の仲間入りを果たせる。そんで、そのあかつきには、常任理事国入りも見えてくるぜいぃ~、というまったくもっていやらしい、スケベな、鹿鳴館時代的な考えがあるそうだ。
- 警察から検察、検察から裁判所へ、という事件がベルトコンベア式に流れていく刑事裁判手続きの仕組みはかなりマンネリ化して、システマティックになりすぎているらしい。つまり、警察さんががんばって調べたのだから、検察としても起訴しないわけにはいかないだろ、そんでもって検事さんが不起訴にしないで起訴した案件だから裁判所でもきっちり有罪にして裁かないとなー、的な流れができあがってしまっているらしい。しかも、自民党丸山議員によると、裁判官が「無罪」判決を出すということは、「出世」に大きく響くそうである。
- そう考えると、刑事事件における上流に位置する裁判所で市民参加が行われても、下流のところが変わるのだろうか?という疑問がある。そこは、数多ある職業の中から、あえて法曹界を選んだ人たちで、プロフェッショナルに変革していってくださいよー。と思う。
まー、なんだかわからなくなってきたけど、量刑判断までさせるのはおかしいと思うし、過去の量刑相場を測る「量刑検索システム」なるものを最高裁は開発しているのであれば、いっそのことEXCELの表計算的に量刑計算しちまえばいいんじゃネエかとも思う。(皮肉だぜぃ)
「しがらみのない素人」を入れることによって、風通しをよくしたいのだとは思うけれども、「後期医療制度」と同様にもう一度審議をし直して欲しいと思う。

吟じます。
2009年五月から裁判員制度が始まるそうなのだが、自分が人を裁くことに背徳をおぼえる。自分は人を裁けるほどの人間であるだろうか。逆に自分が罪を犯して裁かれる場合に、ド素人に量刑まで判断されるのは嫌だと思う。どうせ裁かれるのなら、裁判のキャリアを積んだロープー(プロ、ね)に裁かれたい。
面倒なこと、おかしいことは山ほどある。
- えん罪に加担してしまったらどうするのか?恐ろしいことである。たださえ、正しい生き方をしていない人間が、人様に濡れ衣を着せてしまうなんて。逆にいえば、ド素人にえん罪を着せられたら、たまったものじゃない。
- 守秘義務について。ある日、赤紙がきて、「裁判員になれ」と指名するのである。指名しておいて、裁判員が評議の秘密を漏らした場合は懲役6ヶ月以下、あるいは50万円以下の罰金になるという。こりゃ、あんまりだ。ちなみに、夫婦間で評議を漏らしても、懲役だそうだ。人を無理矢理裁判員にしておいて、その様子をしゃべると、こちらが犯罪者になる。ちなみに、警察で取り調べを受けて、そのことをしゃべっても犯罪にはならない。
- 多数決について。最終的には職業裁判官三人と裁判員(市民)六人で評議をして、有罪・無罪を決める。しかし、双方の票が入らなければ、判決をくだすことができない。つまり、裁判員(市民)六人全員が無罪票を投じても、職業裁判官が誰一人無罪票を投じなければ無罪にならないのである。つまりは、評決の過程において、職業裁判官による「誘導」が十分に考えられる。そんなら、はじめっからロープーだけでやれよな!そんでもって、何を証拠として採用するかも職業裁判官がきめるらしい。お膳立て裁判じゃねえか!
アメリカの陪審制度は無実か有罪かを陪審員が決めるが、日本の場合は量刑までも裁判員が決めなくてはいけない。
戦前の日本に陪審制度があったそうだが、被告が陪審(市民)か裁判官(プロ)か、どちらの判決をのぞむか選択できたらしい。誰も陪審を選ばないために廃止になったそうだ。
日当が最高一万円ってどういうことなのだろうか。
あと、裁判員制度にするならば、職業裁判官の給料を減らしたらどうなのでしょうか。
そこまでの意気込みなら、こっちもやったりまっせー
とはいえ、閑人ゆえにまっさきに赤紙がきそうだ。
